なぜ上司になるとクソみたいな上司になる人が多いのか?
まったく自慢できることではないが、ボクはいろんな仕事を転々としてきた。
その中でいろんな上司を見てきたけど、残念ながらいい上司に当たったことがほとんどない。
いや、まったくと言っていいほどない。
ボクはいつも思うんだけど、上司が部下に対して思いやりを持って接し、信頼をして、話をしっかりと聴いてくれる。相談を持ち掛けても嫌な顔をしない。いつも上機嫌。
そんな上司がいたら、喜んで「この人のために頑張りたい」と思うはず。
実際にはそんな上司に当たったことはない。
上司という人は、もともとは上司ではなく、もちろんペーペーの時代があったはず。
であるならば、部下の気持ちというものが誰よりもわかるはずなのに、上司になったとたんに忘れてしまうようだ。
なぜ上司になるとクソに成り下がってしまうのかを考えていきたい。
高校時代のサッカー部の話
ボクは高校生のとき、サッカー部に所属していた。
今はどうかしらないけど、当時はそれなりに上下関係が厳しく、先輩が後輩に対して罰走を命じることができた。
罰走とは、部活の練習が終わってへとへとになっているときに、先輩に後輩が呼ばれ発動されるもの。
横一列に並ばされ、グランドの端から端をダッシュさせられ、端まで行ったら戻っての往復を延々と繰り返す。
10往復ぐらいダッシュして、早い人から順番に先輩に「上がっていい」と許しを得ることができる。
遅い人は本当に延々と走らされる。最後は疲れすぎて歩いている。
なぜ罰走になるかというと、学校で先輩に出会ったときに「挨拶をしていなかった」というのが一番大きな理由で、先輩の威厳を見せたいがためにほとんど難癖をつけてくるようなものだった。
なぜなら、みんな罰走が嫌で、必死に挨拶していたからだ。
これはこの高校が上から代々受け継がれてきた、『伝統』だった。
ボクはこの伝統がとてもバカバカしいと思っていた。
だって、難癖つけられて走らされたら腹が立つよね。そしたらチームワーク悪くなりますよね。
先輩、後輩が仲良くした方がチームが強くなるに決まってるやん。と思っていた。
なので、ボクが先輩になったときには、この罰を一切やめさせた。
こんなくだらない伝統を、自分がやられて嫌だったことを、下の世代に押し付ける必要はないと思ったからだ。
しかし、ボクは部活を途中で辞めてしまったんだけど、ボクが辞めたあとにこの罰を復活させたやつがいたそうだ。
そして、復活させたやつを他の部員は誰も止めなかった。
この心理は、人をいたぶるのが好きなのか、自分がやられたことの腹いせなのか、先輩としての威厳を保ちたかったのか、ただたんに自分がやられた痛みを忘れてしまっただけなのかわからない。
ひとつ言えることは、「自分がやられて嫌だったことを」平気で人にやるようなやつが多数いて、こいつらは間違いなく嫌な上司になるということだ。
親としての自分を考える
長々と高校時代について語ってしまったけど、今度は親になった自分を振り返ってみる。
そう。自分が親になると自分が子どもだった頃をすっかり忘れてしまうのだ。
自分が親にやられて嫌だったことを平気で自分の子どもにやっていたりする。
要するに、人間は環境にとても左右される生き物で、立場が変わると昔の自分を簡単に忘れてしまうということだ。
今の自分の立場からしか、ものごとを見られなくなってしまう。そういう性質があると考えられる。
だから、クソみたいな上司が増え、クソみたいな先輩が増え、クソみたいな親が増えることになる(お口が悪くてすいません汗)。
これは非常に怖いことだと思う。少なくとも、自分はそんな親にはなりたくない。
ではどうすればいいか?
アドラーという心理学者は言う、我々に必要なのは「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」だと。
これが大きなヒントになる。
そもそもボクら人間は相手の本当の気持ちを知ることができない。
だからこそ、「相手には何が見えているんだろう?今、相手は何を聞いているんだろう?何を感じているんだろう?」と想像してみることがとても大事だと思う。
上司になれば部下の気持ちはわからなくなる。でも想像することはできる。
先輩になれば後輩の気持ちはわからなくなる。でも想像することはできる。
親になれば子どもの気持ちはわからなくなる。でも想像することはできる。
いったん立ち止まって、「この子はなんでこんなに怒っているんだろう?」と相手の目線で想像してみる。
そうすれば、今より少しは相手の気持ちがわかってくるんではないかと思う。
今日は終わり。

