子どもに『頑張る』という価値観は教えなくていい。もう頑張らなくていい。
ボクらは子どものころから、「頑張ることが大事」「頑張ればいつか夢が叶う」「頑張れば成功できる」「勉強を頑張れ」「スポーツを頑張れ」とひたすら頑張ることがいいことだと教えられてきた。
でも、人生100年時代に突入したいま、『頑張り』は必要なくなったと思う。
ボクが皆さんに聞きたいのは、「頑張る」って辛くないですか?
ということ。
先日、子どもの友達が遊びにきたときに、「ご飯を頑張って食べるー」と言っていたのを聞いて、とても違和感を覚えた。
ていうか、なんでもかんでも「頑張る」「頑張ったら偉い」みたいな価値観にいつも違和感を覚える。
ご飯は頑張って食べるものではないと思っている。
「おいしいから食べる。」「楽しいから食べる。」が正解だと思う。
食事は決して修行ではない。
子どもは素直だから、親や保育園の先生が言う「頑張ってご飯食べて」という言葉をなぞっているにすぎないのだけど。
父親世代は頑張れば成果が出た
確かに、ボクらの父親の世代は、頑張りが結果に直結した。
話で聞いた知識でしかないが、戦後は物がまったくなかった。
だから作れば作るだけ売れた。
昔、父と父の友人が「商品を出せば出すだけ飛ぶように売れたもんな。段ボールから出す前に勝手に売れていくんやで。あんな時代はもう来おへんよな。」と話していたのを覚えている。
頑張れば頑張るだけ物が売れる。自分たちの生活も豊かになる。
そういう目標が目の前にあり、目に見えて成果が出たら、頑張ることはできたかもしれない。
頑張ることが奨励されるのも納得がいく。
頑張ることは無理すること
ときは経ち、ボクらが大人になったころは、頑張りが成果につながらないことが多くなった。
父親たちの頑張りで、物質的に豊かになり、生活に必要な物は一通りそろってしまったからだ。
『頑張る』とは『無理すること』と同義だと思う。
成果のでない無理は続かない。
みんな頑張って頑張ってなんとか商品を売ろうとする。
でもどんどんどんどん売り上げは下がる。
そのうち頑張れなくなってくる。
ボク自身、仕事で上司に頑張れとお尻を叩かれた。
しかし、すでに頑張ってるし、これからなにをどう頑張っていいのか見当もつかなくなった。
そしてすぐに頑張れなくなった。
頑張りが幸福につながらないと気づいてしまった
先でも書いたように、父親たちは物質的、経済的に豊かになるために、必死で頑張った。
そして、物は日本中に溢れ、物質的、経済的にかつてない豊かさを手に入れた。
でも、物質的な豊かさや経済的な成功が幸せに直結しているわけではなかった。
今の若い人たちは頑張っても幸せになれないことに、うすうす感づいている人が多いように思う。
頑張っても成果がでないし、頑張っても幸せになれない。
そうであるならば頑張る理由はもはやないように思う。
ではどうすればいいのか?
ボクは仕事で頑張れなかったし、あまり良い成果が出せたとはいえないけど、ボクが成果を出せたものもある。
それはサッカーで、小学生の高学年のころまで遡る。
ボクは小学生の高学年になったころからサッカーが大好きになり、放課後、毎日サッカーをするようになった。
練習を頑張るという感覚ではなく、放課後の校庭で、友達とみんなでサッカーをして遊ぶという感覚。
そうして、全力で遊んでいるとみるみるうまくなっていった。
チームで「中の下(ちゅうのげ)」くらいの実力だったボクが、小学校を卒業するときには1番になっていた。
周囲の人たちは「めちゃくちゃ努力したな。よく頑張った。」と褒めてくれたけど、ボクは頑張ったつもりなど1ミリもなかった。
ただただ、楽しくて夢中に遊んでいただけ。
この経験からわかることは、
「頑張りは、夢中に勝てない」
ということ。
頑張るのではなく、自分が夢中になってできることを探す。
それを仕事につなげていく。
そうすれば、周りからはめちゃくちゃ頑張っている努力の鬼なのに、本人はただただ楽しんでいるだけで無双という状態ができる。
だからこれから親は頑張ることはいいことだと教えるのではなく、子どもが夢中になって楽しんでいることを観察して覚えておいてあげることがとても大事。
それが将来の子どもの可能性を広げることになると考えている。
今日は終わり。

