我慢を美徳とする時代はもうやめた方がいい。子どもに我慢させたらいけない話
ボクはたくさんの大人たちに、「我慢することが大事」だと教えられてきた。
例えば、「習い事」「勉強」「宿題」「基礎練習」など。
ボクの親は比較的、自由にボクたち兄弟の言うことを聞いてくれるほうだったと思う。
それでも、小さい頃に始めたスイミングに、ボクは泣きながら半ば無理やりに行かされていたことを覚えている。
学校の勉強にしたって同じで、毎日、机に座らされて強引に勉強を詰め込まれる。
拒否する権利などまったく与えられていない。
とにかく「我慢してでも続けたら、その先になにかいいことが待っている」というような論調で大人たちは語ってきた。
で、その結果どうなるかというと、勉強や習い事が大嫌いな子どもが量産される。
ボクは子どものころ、学校の勉強がとても嫌いだった。
自分で言うのもなんだけど、勉強はよくできたほうだと思う。
それでも、一度も楽しいと思ったことはない。
だから、勉強などほとんどしなかった。
でも大人になったいま、ボクは自分の好きなことに関して勉強するのがとても好きで、ほとんど毎日勉強している。
「学校で我慢して勉強をさせられたらから、今こうして本も読めるようになって勉強できるようになっているんだろう」という意見もあるかもしれない。
でも、それも疑わしい。
なぜならうちの子どもたちは、一度も教えたことがない(親の怠慢笑)ひらがな、カタカナを、読むことに興味を持った瞬間、すぐに覚えてしまったからだ。
今の世の中、自分で勉強しようと思ったらいくらでもできる。
無理やり詰め込む必要なんて1mmもないような気がする。
親になって気づいたこと
親になって気づいたのは、子どもが習い事をやっているとき、よく「休みたい」とか「もう辞めたい」と言うと、「なんとか続けさせなくては」とか「なんとか行かさなくては」と思ってしまうということ。
まあ「我慢してでも続ける事が大事」だと刷り込まれてきたから、そう思ってしまうのも無理はないけど。
先日、長男の保育園のときの友達と久しぶりに集まって、公園で遊ぶというちょっとしたイベントがあった。
そのとき参加していた子どもが、夕方からスイミングの習い事があった。
時間になったので、その子のママは「スイミングに行くよ」と声をかけた。
その子は遊びに夢中になっている最中で、「まだ友達と遊びたい」と泣き出してしまった。
それでもその子のママはなんとか説得して、その子をスイミングへと連れて行った。
他人の家の教育方針なので、とやかく言うつもりはないんだけど、そのときに泣きながら我慢して行ったスイミングは、「何かプラスの影響をその子にもたらしたのか」と考えずにはいられなかった。
ボクが当人なら、まず間違いなく、好きなことを奪う習い事は嫌いになってしまう。
自分の経験からわかること
ボクの経験から言わせてもらえば、何かを我慢して続けたことで、モノになったことは今までまったくない。
子どものころは、「大人たちがそれほど言うんだから我慢して続けたらなんかいいことがあるんだろうな」ぐらいに思っていた。
だけど我慢して続けても、うまく行くことはなかった。
伸びることもなかった。
あとから好きになることもなかった。
いいことは何一つとしてなかった。
さらに悪いことに、『我慢して続けること』のいちばんの弊害は、大人になってやってくる。
ボクは10年以上、アパレルの販売員を続けているけど、一度として楽しいとも、向いてると思ったことがない。
だけど、続けてきてしまった。
いつかなんかいいことがあるような気がして。
今、いろんな本を読んで勉強してきてわかるのは、我慢して続けてもいいことなんかないということ。
だから我慢を美徳とするのはもうやめた方がいいと思う。
継続はとても大事
でも、継続はとても大事。
継続すること以外で成果がでることなどありえない。
あったら教えて欲しい。
なんだか矛盾しているように感じるかもしれないけど、ボクの中ではぜんぜん矛盾していない。
大事なのは『我慢する事』ではなく、自分の『夢中になれるもの』を探すことだと思っている。
自分にとってやる意味があって、好きなことで、自分で決めたことなら無理なく続けられる。
「もし続けられなかったらどうするんだ?」と思った人は、我慢して続ける呪縛にまだとらわれている。
もし続けられなかったら、あっさりと辞めて、次の興味あることに向かえばいいだけである。
決して我慢しようと思ってはいけない。
我慢しても無駄だから。
だから親は子どもがつまらないから辞めたいと言ったら、「じゃあ次はなにをやりたい?」と聞いてあげるのがいいと思う。
自分にあったものを探すのが人生である気がした、今日この頃です。

